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ニードルポイントのみできました

2010.01.31.23:26

去年の11月8日にブログを始めて2ヶ月と3週間くらいになりますが、今日アクセスが3000を突破しました

今までたくさんの方が訪問してくださったり、温かい拍手やコメントをくださったおかげです。

応援してくださっている皆さん、本当にありがとうございます

これからも頑張って更新しますので、よろしくお願いいたします



今日は本当はユニバーサルスタジオに行く予定だったのですが、雨だったので行きませんでした

ぴーちゃんが受験勉強しているとき、「受かったらユニバーサルスタジオに連れて行ってあげる」「ディズニーランドに連れて行ってあげる」「温泉にカニ食べに連れて行ってあげる」と、いろいろ言っていたので、とりあえずうちから一番近いユニバーサルスタジオに行くつもりでした。



たぶん関東にお住まいの方ならディズニーランドの年間パスポートをお持ちなんでしょうが、我が家はユニバーサルスタジオから車で30分くらいのところに住んでいるので、去年まで家族全員年パスを持っていました

何で今日行くつもりだったのかと言うと、ぴーちゃんが4月から中学生の料金になるので、今のうちに小学生の値段で年パスを買っておこうかと…

その締め切りが今日だったのです。

ネットでも買えるので現地にわざわざ行かなくてもいいのですが、ずっと我慢していたぴーちゃんも、お姉ちゃんに付き合って我慢していたじぞうくんもちょっぴり残念そうでした



昨日の続き、はんど&はあとのニードルポイントの部分が出来上がりました

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やっぱり結構大変だったなあ~

最初届いたとき、「柄が私の趣味ではないなあ」と思っていたのですが、出来上がってみると案外可愛かった



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アップです

今日形にして出来上がるはずだったのにぃ…もう1日かかりそうデス




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はんど&はあと☆ニードルポイント☆

2010.01.30.23:55

今日ぴーちゃんの中学校の制服の採寸に行ってきました

一部屋ごとに制服、体操服やジャージ、上靴、運動靴など分かれていて順番に入るようになっています。

ぴーちゃんは今6年生ですが身長が163cmあるので、どの部屋に入っても「はい、あなた大きいサイズのところに行ってくださいね」と言われます。



結局すべてのもののサイズが一番大きいもの、びっくりしたのは運動靴の大きさが25.5cmだったことです

私も足は大きいほうなのですが、まさかわが子の足がそんなに大きくなっていると思わなかったのでちょっとショックでした

まあ小さいときからお友達より頭ひとつ分大きかったので、今更びっくりすることはないのですが…

今すごく痩せていて、これから横幅が成長すると思うので、大きめ買ったほうがあとあと買いなおさなくていいのかなぁ



しばらく放ったらかしにしていた「はんど&はあと」の10月号を作ることにしました



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「ニードルポイントで作る小物ケース」です

ニードルポイント用のキャンバス地と布2枚、毛糸4色、針、カードケースが入っています。

見本には通帳ケースとカードケースの作り方が載っています。

どちらをつくろうかなぁ…



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とりあえず図案どうりに毛糸を差していきます。

図案は白地に赤い花と、逆の赤い地に白い花と、好きなほうを作るように書いてあります。

白地に赤い花の柄にすることにしたよ

今日は白い部分を差しました。

すぐできると思ったのに結構時間かかったなぁ…

でもキャンバス地の目が粗いから差しやすかったよ

あとの色は少ないからすぐ出来そう。



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拡大です

簡単なんだけど、うっかり間違えてずれてしまうと、解かないといけないので大変なのです



通帳ケースを作っても使わないだろうし、カードケースも持っているから、何か違うものを作ろうかなぁ…ワクワク

このキャンバス地は糊がしっかりきいていて、バリバリガチガチだから、それを生かしたものを作ろうかな



では続きをお楽しみにぃ~~




フライングキャップ

2010.01.29.00:33

やっとできましたよ~~明日の雪遊び遠足にかぶっていくフライングキャップ

こないだ消しゴムハンコのゴム板を手芸やさんに買いに行ったとき、一緒にフライングキャップ用の布を購入したのですが、裏地に使うフェイクファーをぎりぎりサイズで買ったので足りないことに気づきました

no.310さんという方が型紙をブログに載せていらっしゃったのでそこからお借りしたのですが、赤ちゃん用のサイズだったので、じぞうくんの大きさに型紙を作り直すと足りなくなってしまったのです

もともとフェイクファーではなく、プードルニットが欲しくて買いに行ったのに、オレンジと茶色しかなく表地にする紺の水玉に合わないので、仕方なくその日はフェイクファーを買いました。

今日はいつも行っている小さいほうの手芸やさんにあらかじめ電話して確認したところ、オフホワイトのプードルニットがあるとのこと、速攻買いに行きましたよ~

欲しいものが近所でなかなか手に入らないことはよくあることで、いつも苦労させられます、ハイ

フェイクファーのほうは、また買い足してぴーちゃんの何かに使おうと思います。



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ニット地を縫うのは何年かぶりだったので、心配だったけど、思ったより大丈夫

ニット地はストライプのものは柄あわせが大変だと思って水玉にしたのですが、柄が大きすぎてやっぱり柄あわせが大変でした



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あはは…ひつじだ~って、じぞうくんはもともとひつじ年なんですけど



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使ったタグはC&Sのものです。

中央のタグは革に縫い付けて鋲で留めました

革+ニット地って縫いにくいわぁ目がゆがんでるし…



とりあえず明日の用意はコレでばっちり

天気もいいみたいだし、楽しんできてね



ちなみに行くのは六甲山の人工スキー場です

たくさん遊ぶため、いつもより30分くらい登園時間が早い…

私はぴーちゃんのために早く起きるけど、じぞうくんは起きれるのか…

そして山頂のホテルでカレーを頂くらしい。

なんて贅沢っ



あ、そうそう…ひつじで思い出したんだけど、2年ほど前のぴーちゃんとの会話。

  ぴー  「お金持ちはいいなぁ」
  ずずこ 「なんで??」
  ぴー  「だって、家にひつじがいるもん」

しばらく「…?」

  ずずこ 「それひつじじゃなくて、執事でしょっっ

あの…けっして笑かそうとしているのではありません

ぴーちゃんはこれで真剣に言っているのです




和菓子屋さん

2010.01.27.23:46

じぞうくんの幼稚園で雪遊び遠足があるのでフライングキャップを作ろうと思い、「さあ、作ろう」と型紙を作ったところ、生地が足りないことに気が付きました

なんてこった…

もうあさってに迫っているのに、どうするずずこ

そんなに難しくなさそうなので、明日朝一で生地を買いに行って、作ろうと思います



京都の叔母の新築祝いで作ったドールハウス、「和菓子屋さん」です。

叔母は坂本龍馬で有名な寺田屋のすぐ近くに住んでいるのですが、どんなドールハウスを作ろうか…と考えて、

「京都だから和菓子屋さんしかない

と思って。

実際近所を歩くと、和菓子屋さんがある確立はうちよりはるかに多いです。

こちら、ドールハウスの本を参考に作りました

土曜日に叔母に会ったので、「しばらく返して~」と、持ってきてもらいました。



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大きさ 奥行き25cm幅34cm高さ24cm



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斜めから…



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実はそうめんの木箱を利用しているのです



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「助さあぁ~ん、もう腹が減って歩けませんよぉ~」

水戸黄門のうっかりハ兵衛の声が聞こえてきそうです



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小さな坪庭です。

この柵…柵大変でした。

爪楊枝を貼るのイライラしたぁ



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ゆりの花が活けてあります。

ゆりと葉は樹脂粘土、ゆりのめしべと茎はアートフラワー用の針金、着色したモールなどで作りました。



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贈答用のおせんべいのセット。おかき、海苔せんべい、お砂糖の付いたせんべい、抹茶のせんべいの詰め合わせでございます。



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ショーケース上の招き猫。高さ2cm。



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三笠(どら焼き)、干菓子、丹波黒豆大福、金鍔の試食いかがですか



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箱入り和菓子セット。



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色紙と高価そうなつぼ。



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ショーケースの和菓子。

上段手前から卵の黄身を餡に練りこんだ和菓子、真ん中二つは柿と、黄色い餡と桃色の餡をマーブル模様にした和菓子、端が豆大福です。

あ~真ん中ふたつの名前が分からない茶道でいただくお菓子、ほら…あんこを丸めたようなやつ…どなたか名前分かります?もしかして「練りきり」かなぁ…

豆大福はらしくなるように、ベビーパウダーで粉をふかしています。

ひとつ5ミリくらいです。

下段の串団子は手前からあんこのかかった団子、みたらし団子、三色団子、団子ひとつ3ミリくらいです。



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半分に割れている大福のみ、中にあんこを入れました。

水羊羹は写真では分かり辛いですが、いい感じのツヤツヤです。

下段のあじさいは、丸めた粘土の周りに透明の「おゆまる」(スーパーボールが作れる透明の粘土。お湯につけるとやわらかくなる)を細かく切ってくっつけています。



なんかすべての写真がボケてます

あ~もっといいカメラが欲しいなぁ



ちっちゃいパーツ…今回の場合は和菓子ですが、いつも余分に作って上手にできたものを使うようにしているのですが、掃除をしたり家具を動かすと、いまだにこの和菓子があっちからコロコロこっちからコロコロ出てきて、掃除機でシュボボボボッッッと吸ってしまうのです。

大きい作品は数少ないので、ほんとは手元に置いておきたかったけど、まあ親戚のうちなので見たかったらいつでも見れる…てな感じです



明日はどんなことあってもじぞうくんのフライングキャップ作るぞー




また消しゴムハンコ作りました

2010.01.26.02:38

やっぱりはまっちゃいました、消しゴムハンコ

材料がなくなるまで作り続けます

今日作ったのは、「ドイリーのタグ」と「音符のラベル」

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6cm×2.8cm
ドイリーを細かくしすぎて時間かかりました



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ぴーちゃんとじぞうくんのネームハンコ。

本名分かっちゃうかナ

全部お見せできないのが残念…

のタグと組み合わせて使ったらちょうどいい大きさ。



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使用例です。7cm×5cm

宛名の枠や、保存容器のラベルとして使おうかな



しばらくマイブームになりそうです




ホテルバイキング

2010.01.24.23:53

16、17日のお休みは、夫と私の実家に行き、ぴーちゃんの合格祝いをしてもらいました

私の実家は大勢集まって、手巻き寿司パーティでした

夫の実家は、お姑さんがホテルリーガロイヤル堺(大阪府堺市戎島)の一階にあるレストラン「コルベーユ」のバイキングに連れて行ってくださいました

夫のお姉さんと、そのお子さんたち(長女中2、長男小3)も一緒に行きました。
     
      ここクリック  ホテルリーガロイヤル堺 コルベーユ



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あまり大きな建物なので、文字しか撮れなかった…



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どちらかと言うと洋と中華が多かったかな。

普段余りお値段のしないバイキングに慣れているので、味はやはりホテルの味でした。

ランチだったので、今度は夜行ってみたいです

夜はもっとメニューが増えて、カニもあるそうデス



ぴーちゃんとじぞうくんは、受験勉強のためしばらく会えなかった従兄弟たちと遊べて、大喜びでした




消しゴムハンコに挑戦!

2010.01.22.23:14

夫が長期出張先の沖縄から帰ってきましたよ

と言っても明日は大阪の事務所に仕事に行き、月曜に帰っちゃうんですけどね。

子供たちは大喜びでした



今まで電車男だったのに最近戦隊ものにはまっているじぞうくんのために、沖縄の戦隊ヒーロー「琉神マブヤー」の塩ビ人形を買ってきました。

私も最近他の方のブログで知ったのですが、沖縄ではとても人気があるようです。

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タグの説明には、「ニライカナイからやってきた魂の戦士」「ヤチムン見習い中。特技は空手とカチャーシュー。沖縄そばが大好物だがそば粉が使われてないことに気づいてない」とあります。

沖縄の言葉が入っているので、なんだかよく分かりません。

分かる方教えていただけると子供に説明できるので、どなたか教えてくださーい



今日久しぶりに大好きな手芸店に行ってきました

収穫物です

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紺に白い水玉のニット地と、オフホワイトのフェイクファーです

29日にじぞうくんが幼稚園の行事で、六甲山の人工スキー場へ雪遊び遠足に行くのに「耳が隠れる帽子」がいるので、フライングキャップを作ろうと思って買いに行きました

これはとりあえず今日は洗濯機へ…



あと、消しゴムハンコに挑戦しようと思って、作家さんの本とゴムを買いました

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今はやっているのを知っていたのですが、「いや~自分にはたぶん無理だね~」と思っていたのが、ブログでお付き合いさせていただいているLe*Cielさんの記事を見て俄然やる気に

私の悪い癖は、いつも材料だけ買って長い間ほうったらかしにしてしまうこと。

今回もそのパターンだと思っていたのが、めずらしくすぐやってみた



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悩みましたが専用の刃物は買いませんでした。

だいぶ前に買ったステンシルのテンプレートをくり抜くカッターと、ぴーちゃんの学校で使う彫刻刀です。

専用のじゃないけど、ちゃんとできるのかな



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トレーシングペーパーが買った本に1枚付いていたので、図案を描きます。

裏に返して、ぴーちゃんの2Bの鉛筆で塗りつぶします。



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塗り塗りした方を下にしてゴムの上に乗せ、爪でこすって図案を写します。

後は鉛筆で塗った部分を残してひたすら彫り彫りします。



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出来上がり~

初めての割には1時間でできました



では、押してみましょう…ペッタン

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うわあ感動、私にもできたよ~



なんか病み付きになりそう

Le*Cielさん、見てますか~

本の説明を読まずに、Le*Cielさんの分かりやすい記事を読んで無事できあがりましたよ~、ありがとうございます

明日は何つくろうかな~


私はお世話になった人に手作りの石鹸やシュガーアートをプレゼントすることがあります。
 
パッケージの裏にオリジナルのハンコを押したくてハンコ屋さんで説明聞いてみたことがあるんだけど、手書きのようなイニシャルと飾り枠のハンコを特注すると、7000円くらいかかると言われたのであきらめていました。

でもこれなら気に入ったのが安価でできてうれしいな。

早く次の作りた~い




粘土のミニチュア!

2010.01.21.23:50

今日明日と仕事がお休みなので、
  
「久しぶりに何か作るぞーー

と楽しみにしていたのに、昨日の夕方から熱が…



昨日の仕事中も、重いもの持ったらフラァ~としたり、普段ならすぐできる仕事がなかなか進まなかったりと、「なんか変だな~」と思っていたら、家に帰って熱があることに気づきました

38度くらいパーンと上がるとすぐ下がると思うのですが、いつ測っても37度5分なのです。

だからずっと熱が上がりかける時のように、いつも背中がゾクゾクと寒気がして頭が痛くてだるいのです。

子供たちがいない間にせっかく何か作ろうと思っていたのにぃ

やはりぴーちゃんの受験のせいで疲れが出たのか…

でも疲れているはずのぴーちゃんではなく、なぜ私が具合悪くなるの



せっかくなので、オーブンクレイで作ったごちそうをご覧ください

一緒に写っている5セント玉は直径2cmです。

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「コーンクリームシチュー」

にんじんがお星様の形になっているのがポイント。

ブロッコリーは茎の色にこだわりました。



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「おなべ」

白菜結構薄いですねぇ。長ネギも薄く延ばしたのをクルクル巻いてます。

よく判らないと思うけど、真ん中にしいたけが隠れています。

同じくよく写ってないけど、お肉は赤と白をマーブル模様に混ぜて、霜降りのようにしています。



明日は夫が沖縄から一時帰ってきます。

朝掃除しないといけないので時間があるか分かりませんが、何か作れたらいいなぁ


じぞうくんの製作アルバム作り

2010.01.20.21:48

18日にじぞうくんの幼稚園に、「製作アルバム作り」(名前はこれであっているのか)に行ってきました。

じぞうくんはもうすぐ卒園なのですが、年少組のころから幼稚園で描いた絵を綴じるファイルの表紙を作るのです。



75cm×62cmの布と、表紙と背表紙の芯になるダンボールを裁断して持ってきてくださいとこのこと

で、私はやっぱりただの布では我慢できなかったんですよね~~

以前じぞうくんの水筒カバーやリュックを作りましたが、またまた凝ってしまい、同じデザインにしました

しかも、幼稚園に行く30分前にあわてて縫ったので、縫い目ガタガタ…       
     
    ここクリックしてね  11月17日の記事



こーんなのができました

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表紙です。余っていたワッペンをつけました



中を開くと…

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こーんな感じ



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表と裏表紙の裏にはクリーム色の画用紙を半分に折って貼り、絵を半分に折ってどんどん貼っていくそうです。

まだ卒園していないので、卒園してから描いた絵をすべて並べて貼ろうと思います。

ぴーちゃんのときはこんなのなかったので、ちょっと不公平かな…と思う私でした



あと、明るいお知らせ…

この何日か地震の悲しいお話だったので

ぴーちゃんが、無事志望校に合格しました

今までも忙しいと書いてきたことと、この間の日曜日前後、更新が滞っていたのはコレが理由です。

16、17日と入試で18日に合格発表でした。

これまでぴーちゃんは一生懸命勉強してきました。

学校が長期お休みのときは、長い時で10時間くらい塾にいました。

お弁当がふたついる時もあったんですよ

特に6年生になってからは、ゲームもせず、お友達とも遊ばず、お正月も私の実家に2時間しかいられませんでした。

親子でストレスがたまって食事だけが楽しみになってしまい、ひたすら食べ続けた日々…

合格した学校を選んだのは、ぴーちゃんが学校の雰囲気を気に入ったこと、性格にあっていること、女の子が社会に出て女性らしさを失わずに活躍できるよう育ててくれるのではないか…というように思ったからです。

ぴーちゃんは合格が分かってから、今まで我慢していたのを取り戻すように、その日の夜はゲームにかじりついていました

昨日今日も私が仕事から帰ってくると、遊びに行っていませんでした…

明日もあさってもお友達とお約束しているようです。

最初は受験に反対していた夫は、長期出張先の沖縄から戻って来れなかったので、合格発表のとき、いち早く知らせました。

その後それぞれの実家や親戚に電話をかけたのですが、ことごとく夫に先回りされ、私は負けてしまいました…

夫からかかってきた親戚は、 
  
「普段かけてこないのでびっくりした。よっぽどうれしかったんやねぇ。」

と言っていました。

自分で報告したかったんだけどな……



試験の前にお友達が、わざわざ家に訪ねてきてくれ、お手紙をくれました。

中には彼女手作りのお守りが入っていました

合格が分かると、男の子も女の子も「〇〇、よかったな~」と、言ってくれたそうです

そして、毎日「遊ぼう」って誘ってくれるのです

ぴーちゃんは素敵なお友達に囲まれてとっても幸せ者です

たくさんの方に応援していただいて、私も感謝の気持ちでいっぱいです



私も、ずっと気がかりなことから解放されたので、これからは自分の好きなハンドメイドを楽しみたいと思います

ここしばらく訪問して下さる方のブログにあんまり遊びに行けなかったし、コメントのお返事も滞りがちだったので、これからはバンバン訪問しますよ~



これからもずずこのことをよろしくお願いしま~す







このカテゴリをクリックしてくださった方へ

2010.01.20.00:01

「阪神淡路大震災」のカテゴリをクリックしてくださった方、ありがとうございます。
心より感謝いたします。

この記事は私が経験した震災の前後数カ月の出来事を記録しています。
上から「その3」「その2」「その1」と、記事の新しい順になりますので、初めて読まれる方は、スクロールして「その1」から読んでくださいね。
どうぞよろしくお願いします。

阪神淡路大震災 3 ~その後~

2010.01.19.21:08

お久しぶりです。
数日間忙しかったので、更新することができませんでした
なぜ更新できなかったかは、この次の投稿で書きますね。

で、地震のお話の続きです。主にライフラインについて書きます。
地震のお話も一日で手短に書くつもりだったのですが、結局「三夜連続放送!」みたいになっちゃいました。
日本に住んでいる限り、どこで地震が起こってもおかしくはありません。
今日書くことが参考になればいいなあと思っています。



 
一番早く復旧したのは地震から一週間後の電気だった。
それまでろうそくで生活していたので、電気が点くのがうれしくて、あちこち点けたり消したりしてみた。
地震の被害の程度によって復旧するのはまちまちだったようだ。
後で知ったが、うちの近所は一番遅い地域だった。

水道は相変わらず出なかったので、水はペットボトルの水を飲み、トイレに流す水は叔父に山の沸き水を汲んできてもらったのを、浴槽に溜めて使った。
食事はスーパーが開店するまでの半月ほど、学校で配給されるものや親戚が持ってきてくれるものを食べた。
よその地域からのお弁当の売れ残りや、時には賞味期限の切れた食べ物や牛乳も平気だった。
学校の配給に並んでいるとき、自分の家族の人数分をもらうのだが、うそをついてたくさん貰おうとした人と配っている人が、つかみ合いのケンカをしていた。
食器は洗う水がないので、紙皿を使った。毎回捨てるのはもったいないので、紙皿にラップを敷いて食べ物を乗せて、ボロボロになるまで使った。

母の火葬の日の夜、地震後初めて親戚の家で入浴したが、髪を洗っても洗っても黒い水が出た。
5回くらい洗ったがきれいな水にならないので、あきらめた。
お風呂は一足早く水とガスの出た親戚の家に、妹と交代で一週間おきに入らせてもらいに行った。

地震の一週間後、足の裏にガラスがいくつか刺さって、その上に新しい皮がかぶってきているのに気がついた。
病院は祖母の痛み止めを貰いに行くとき、相変わらず混乱しているのが分かっていたので、自分で取ることにした。
はさみやピンセットや針を、カセットコンロの火に近づけて消毒し、皮を切ってピンセットで取った。
痛くて涙が出た。

2月に入ってようやく阪神電車が大阪から最寄の駅の隣の駅まで通じたので、一度職場に行ってみようと思った。
電話があまり通じてなくて急に行ったので、同僚はみんなびっくりしていた。
職場はまったくダメージがなかったので、仕事はその後すぐ再開した。
初日の終業後、私の周りにたくさん集まってくださり、「辛かったでしょう、よく頑張ったね」と私を抱きしめて一緒に泣いてくださった。
私がたくさんの物を失くしたので、どなたかが呼びかけてくださって、家にある使ってない調理器具やタオルや洗剤、食べ物、水などを下さった。贈答品などで貰うような可愛いものやブランド品で、かえって申し訳ないくらいだった。
あまりにもたくさんで、私のロッカーに入らなくなった。
毎日3つづつくらい持って帰ろうと思った。
一度5リットルの飲み水のパックを持って帰ったとき、あまりの重さに、駅を降りて駅前のお好み焼きの屋台で、お好み焼きと物々交換してもらった。駅から40分くらい歩いて帰るのに、自信がなかった。お好み焼き屋のお兄さんは、水のパックをとても喜んでくれた。

あまり入浴してなかったので菌が入ったのか、ストレスのせいなのか、膀胱炎にもなった。
仕事のときも、行き帰りの道中もしゃがみこむほどとても辛かった。

うれしかったのは、いろんな方が尋ねてきてくださったこと。
妹が瓦礫の後片付けをしに行ったとき、「お姉ちゃんの知り合いの何とかって言う人が来てたよ」ということもあった。
避難していたマンションに、中学高校の同級生、大学の同級生、幼稚園のときのお友達のお母さん方、同僚が、3、4人ずつ尋ねて来てくださって、母にお線香を上げてくださった。
来れなかったお友達もわざわざ電話や手紙をくれた。

ほとんど毎日全壊した家の後片付けをしに行ったが、近所の方も、私たちや祖母のことを心配してくださって、「早く帰ってきてね」と言ってくださった。

親戚はかわるがわる来てくれて、いろんな物を持ってきてくれたり、一緒に瓦礫を片付けてくれたり、私たちが早くもとの生活に戻れるようにサポートしてくれた。
一番うれしかったのは、交代で泊まってくれたこと。
相変わらず大きな余震があり、マンションの最上階は凄くゆれを感じた。
私たちだけの生活になると、また怖いことが起きるのではないかと、とても怖かった。
親戚が帰るとき、
  「お願いやから帰らないで!次はいつ来てくれるの!?」
と追いすがって訴えた。
部屋に一人で寝られるようになるまで、2ヶ月ほどかかったと思う。

当時髪が長い上に、めったに入浴できなかったので、思い切って切ることにした。
比較的被害の少なかった職場の近くの小さな美容院に入った。
洗髪ができるということで、ガスが出ているのかと思っていたが、部屋の周りに炊飯器、ポット、深型のホットプレートなどがずらりと並べられていて、お湯が沸かされていた。
なるほど、いいアイデアだと思った。
水道はたぶん2月中に出たと思う。洗面所にストーブを付けて、美容院で見たように、お湯を沸かせるあらゆるものを使って髪を洗った。

ガスはやはり被害のひどかったので、一番遅く4月に出るようになった。出ないのが当たり前だったので、普通に料理ができるのが不思議だった。

とりあえず普通に生活できるようになったので、4月に母の葬儀もちゃんと行った。
普通の主婦なのに、160人もの方が参列してくださった。
本当なら喪主は祖母がするのだろうが、亡くなったのが子供だった「逆さまごと」になるので、喪主は私になった。

このころになると、ずっと臥せっていた祖母も元気になり、私たちが仕事に行っている間、家の家事ができるようになった。

3月に全壊した家を解体し、8月から元の場所に家を新築、11月終わりに引越しした。

古い家に慣れていた私たちにとって、新しい家はとてもうれしいものだった。
祖母も楽しそうだった。

ところがその年の暮れ…たぶん12月20日過ぎていたと思う、祖母が急におなかが痛いと言い出した。
いつも通っている内科に車で連れて行ったが、その日は様子を見ましょうと言われ、帰ってきた。
かなり辛そうだったので、私も夜1階で寝ることにした。
一晩中七転八倒し、一度黒いものを吐いた。
朝、今度は大きな総合病院に連れて行ったら、即入院と言われる。
胆石だった。
しゃべれない祖母に代わって、私が先生と話をした。
  「おばあちゃん、最近何かストレスになるようなこと、ありましたか?」
  「地震で長女を亡くしました。」
  「あ、それが原因ですね。そういう人、多いんですよ」

祖母はお正月を挟んで入院した。
妹はそのお正月もスキーに行ってしまった。
新しい家に一人残された私は、親戚の家に電話をかけまくって集合をかけた。

1996年2月に祖母は胆石の手術をして、無事退院した。






私の地震のお話は終わりです。
これはすべてではありません。
あの1年のことをすべて書くと、本1冊出来上がってしまうと思います。

私の周りでは母以外に私が知っている限りで、実家が経営する会社の社員の息子さん、中学高校の時の同級生、中学高校の同級生のお父さん、大学の同級生の彼氏が亡くなりました。

地震はとても辛いものだったけど、いろいろなことも教えてくれました。
人の温かさや助け合い、それまで興味がなかった「近所とのお付き合い」がどれだけ大切なのか、当たり前のように思っているライフラインがどれだけ大切なのか…ところが!ところが、贅沢に暮らしている今では、それらのこと、すべて忘れがちになっているのです。

もう15年もたっているので忘れそうになっていましたが、今回ブログに書くことで、忘れていたことを思い出し、自分を見つめなおせたらいいなあと思っています。

長い長い文章になりましたが、最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
次回から普通のブログに戻りますので、よろしくお願いします!!

阪神淡路大震災 2

2010.01.16.23:59

前回の続きになります。
引き続き、長い文章が苦手な方、暗い話が苦手な方、読んでいて気分が悪くなられた方は、読むのをおやめになるよう、よろしくお願いいたします。

  1月17日(月)たぶん夕方ごろ
母の遺体を乗せたミニバンは、灘高(全国的に有名な難関校)の体育館の前に到着した。
体育館はたくさんの人が出入りしており、入り口にいた役所の人数人が、母の遺体を運ぶのを手伝ってくれた。
体育館の中は選挙のときに敷くビニールシートが敷いてあり、到着した遺体から奥につめて何列にも並べてあった。
私が到着したときにはすでに3分の2くらい埋まっていた。
どの遺体にも、寝ていた時着ていたであろうカラフルな布団がかぶせてあり、この場の雰囲気に合わなかった。

到着してからずっと一人で遺体の傍らにペタンと座ったまま動けなかった。
自分の今の状況を受け入れることが出来ず、ひたすら
  「昨日の今の時間に戻って欲しい」
と願った。

白衣を着た医師らしい人が、遺体を順番に検死していた。
  「どこでどうやって亡くなりましたか?」
  「自宅でつぶれた家の下敷きになりました…」
  「即死ですか?」
  「なかなか出せなかったので分かりませんが、たぶんそうだと思います。解剖するんでしょうか?」
  「こんな状況なので無理ですね…」
医師は私の言ったことを自分のノートに書き込み、またそれとは別のノートに何か書き込んで、ちぎって母の布団の上に乗せた。
医師が立ち去ってから見ると、亡くなった日にちと時間(地震の時間)、家の住所、母の名前と年齢が記載されていた。 

保健婦も順番に回ってきた。手を合わせた後、「ご遺体を見せていただきますね」と布団をめくった。
顔を脱脂綿で拭いて、鼻に綿を詰めてくれた。
  「お顔、とてもきれいな方ですよ。せめてもの救いですね」
と言った。

その後、叔父(叔母の夫)と、祖母を病院に連れて行ってくれたご夫婦が、様子を見に来てくれた。
祖母はその病院に入院しており、怪我は打撲ですんだらしいとのことだった。

真冬だったのであっという間に暗くなった。
町全体が電気、水道、ガス、電話のライフラインはすべて供給停止していた。
体育館の壇上では役所の人が、水のペットボトルと毛布を配給していた。おにぎりのパックを配っていたが、不思議とおなかがすいてなかったのでもらわなかった。

朝からの疲れが出始めたので寝ることにした。冷たい体育館の床に横になって毛布を頭からかぶった。遺体と遺体の間は1メートルくらいしかなかった。
ときどき母の布団をめくって、本当に亡くなっているのか何度も見てみた。次めくったら、生きてるかもしれない…

電気も暖房もない広い体育館は寒かった。後で聞いたが、その日はその冬一番の寒さで零下だったらしい。
窓のガラスも割れて風が吹き込んでいた。絶え間なく襲ってくる余震に怯え、一番きつい余震のとき、上のほうの窓が割れて、その近くにいた人は大きな悲鳴をあげていた。

眠りに着く前に、朝電話がつながったほうの京都の叔母夫婦がようやく到着した。叔母は母の遺体を見て
  「こんな紙切れ一枚になってしまうなんて…」
と絶句して泣いた。

灘高の運動場は避難してきた人の車でいっぱいだった。あまりにも寒い夜だったので、私、叔父叔母で、交代で運動場のよその人がしていた焚き火に当たって一晩を過ごした。その間も
  「昨日の今頃はまだ地震は来てなかった…まだ私は幸せな自分だったんだ…」
と思い続けていた。

私の体はしょうがないので生きているようだった。でも魂は地震と一緒に死んでしまったと思った。少なくとも、毎日楽しいことばかり考えて、親に甘えてのほほんと生きていた自分はもう死んでしまったんだと思う。


  1月18日(火)
朝早くに、妹が体育館に姿を現した。妹もスキー旅行に行っていたが、向こうで地震のニュースを見てこちらに連絡をとろうとしたようだ。
被害のなかった京都の叔母の家に電話がつながって、従兄弟からこちらの状態を聞いたそうだ。
スキーの荷物は友人に預け、一人で帰ってきたのだが、大阪駅から神戸方面は電車が不通になっていた。
電車で40分くらいかかる距離を一人で歩いてきたらしい。
当時は線路の上を人がぞろぞろ歩くのは当たり前の光景だった。

近い親戚も一人二人とやってきた。話し合ったのは、母の遺体をどうするか、住むところはどうするかだった。
住むところは祖母の弟が、灘校から川を挟んで反対側に使ってないマンションの一室を持っていたので、そこに寝泊りできることになった。
祖母の弟は被害の少なかった神戸市西区に住んでいたので、棺桶の手配と火葬の手配をしてくれた。火葬は5日後の日曜になった。

その日は借りたマンションに行って住めるようにしたり、全壊した家に使えそうなものがあるか見に行ったり、祖母の入院している病院に車で連れて行ってもらったり忙しかった。
祖母は本当に気丈にしていた。
病院は戦争中の病院のように、ごったがえしていた。
廊下まで人があふれ、怪我をした人が床にじかに横になっていた。

食べ物は祖母の弟が家の近くのデパートで買ってきてくれたお惣菜を食べた。
地震が起こって初めて口にした食べ物は、餃子だった。
従兄弟と「餃子おいしいね」と言いながら食べたのを覚えている。
大変なことがあったのに食欲があるのが不思議だった。

妹が全壊した家の中から母のアクセサリーを取ってきた。
冷たい体に指輪やネックレスをかけてあげた。

マンションから4軒ほど向こうの国道沿いに区役所があった。
区役所だけではなく、国道も人があふれかえっていた。
区役所にはいつも大型トラックが止まっており、大量のタオル、衣類、赤ちゃんのオムツ、全国から集まった食料、飲料水などを搬入していた。
建物の中は黒電話がずらりとならんでおり、無料で使えるようになっていた。
国道は自衛隊の装甲車が見えなくなるくらい遠くまで連なっていた。

地震の直後に瓦礫から脱出したときにできた傷と、裸足でうろうろしていたときにできた傷から血が出ていたので、絆創膏が欲しかった。
国道沿いにコンビニがあった。
ドアは割られてそこから入った人々が食料品や生活用品を勝手に持ち出していた。
私もその人たちの後に続いて割れたところから中に入った。
店主がいたのでみんなあわてて外に逃げていったが、私だけ取り残されてしまった。
  「すみません、怪我しているので絆創膏持って行っていいですか?お金ないんですけど…」
  「いいよ。もう何でもいいから持って行って…」
完全にあきらめているようだった。

体育館にはもう一泊した。


  1月19日(水)
体育館に並んでいたたくさんの遺体のうち、引き取る術のあった人数名が運ばれていっていた。
私は疲れが出たのか、ずっとパジャマにジャンパー、素足に運動靴という格好でうろうろしていたせいなのか、9度5分の熱を出してしまった。
妹や親戚は、朝から家の瓦礫の様子を見に行っていた。
私も行きたかったが、「お母さん見つけるのにあれだけのことをして疲れてるんやから、ゆっくり寝ておきなさい。」
と、言われてマンションのリビングに寝ていた。
祖母がいつ退院したのかが記憶にないのだが、この日一緒に留守番した記憶があるので、地震が起きて2、3日で「たいした怪我をしていない、もっとひどい人もいる」と、病院を出されたと思う。
祖母も自分の長女を亡くしたことにショックでずっと臥せっていた。

相変わらず水道、電気、ガス、電話は供給を停止していた。
飲み水はペットボトル、食べ物は親戚が持ってきてくれる食べ物か灘高で配給されるものを並んでもらった。
電気は昼間はいいが、夜は家のあちこちにロウを垂らしてじかにろうそくを立てた。頻繁に来る余震のたびに、ろうそくがひっくり返ってないか見に行った。
身近な親戚がずっと泊まってくれたので、さみしくはなかった。
夜はリビングに布団を敷いて10人くらいで一緒に寝た。

寝ていなさいと言われても、じっと寝ていられなかった。
避難したマンションは、川の真横にあった。
上流を見ると、川岸では洗濯をする人でいっぱいだった。
トイレに用を足した後、水をひしゃくで汲んで、フタを開け放しにしたタンクに水を入れて流していたので、その水をバスタブに溜めようと、ポリタンク2個を持って川に水を汲みに行った。
水を汲んで川から道路に上がり、マンションを回って5階の自分の部屋まで階段を上がることを5回くらい繰り返した。
熱が高く辛かったが、動かずにいられなかった。

その日、祖母の弟の手配のおかげで、母の棺桶が届いた。見た親戚に聞いたら、非常時なのにとても立派な彫り物がある棺桶だったそうだ。
納棺をするのにみんな灘校に出かけていった。
私も行きたいと言ったが、みんなに寝ておくように言われたので行かなかった。
本当は最後に母に会いたかった。
遺体は5日後の火葬まで、葬儀屋で預かってもらうことになった。
日にちがたっているので着替えさせることはできなかったが、上に気に入っていた明るい山吹色のチェックのスーツをかけたらしい。

うちはまだ手配が早くマシなほうだった。
灘高の運動場には組み立てる前の棺桶のキットの入った薄いダンボールが山のように積み上げられていた。
遺族の人は、このキットを金づちを持って自分たちで組み立てていた。
それを見て、運んでいるとき、釘が外れたらどうしよう…と考えた。


  1月23日(日)
母の火葬の日、地震後初めてひどい土砂降りになった。
家の瓦礫で取り出せたものもあったが、心配なところには大きなブルーシートをかけておいた。
結局区内の斎場がいっぱいだったので、神戸市北区の鵯越斎場まで行くことになった。
何台かの車に分かれて大勢で行った。うちの車は車自体はほとんど無傷だったが、周りの瓦礫を片付けないと車を出すことができなかった。
全員乗れないので友人が車を出してくれることになった。

鵯越の斎場もたくさんの人でごった返していた。異様なのは、本来ならみんな喪服を着ているはずなのが、みんな普通の服を着ていることだった。喪服を着ている人なんて誰もいなかった。

最後に母の顔を見せてもらえることになった。
理由は忘れたが、場所が土砂降りの斎場の駐車場の真ん中だったことを覚えている。
あまりにもたくさんの人の予約があるので、普通の葬儀のように、その場でゆっくりお別れすることができないようだった。
ひとりずつ傘を差して、お別れしに行った。
最後に祖母がお別れしたが、ずっとおとなしくて冷静だった祖母がお棺にしがみついて泣いていた姿は、一生忘れないだろう。

いよいよ荼毘に付す部屋に入ったときも、すでにお棺がセットされていた。
あわただしくお経を上げ、お棺はスーッと移動していった。誰も無言だったが、私はこの何日かのことを考えると、涙が止まらなかった。
足の力が抜けて座り込んでしまい、叔母に抱えられてその部屋を出た。





またまた長くなってしまいました
でもこれで割愛しているほうなんですよ。
後、ライフラインのことなど書きますので、あと1日だけお付き合いください。
続きは明日書きますね…








阪神淡路大震災 1

2010.01.15.17:10

これは私が実際に経験した本当の話です
すべてを書こうと綴っているうち、ほんとに長くなってしまいました
長い文章が苦手な方、暗い話が苦手な方、また読んでいて気分が悪くなられた方は、どうぞお読みにならないよう、よろしくお願いいたします。

阪神大震災からもう15年がたちましたが、いまだにあの日の記憶は鮮明です。
最近では親族以外とこの話をすることはほとんどありません。
この話をしようとすると、たいていの人が「思い出したらかわいそう」と思われるのか、さえぎられてしまいます。
去年秋にランチ仲間とランチをしていてたまたまこの話になりました。
二人とも最後まで聞いてくれて、「大変な思いをしたんだね」と言ってくれました。



~阪神淡路大震災の記憶~  

  1995年1月13日(金)
私と友人の計6人で、信州にスキー旅行に出発する。
それぞれ仕事を終えて19時に大阪で待ち合わせ。夜通し高速を走り明け方信州に到着。
ペンションで2泊し、とても楽しいスキー旅行だった。


  1995年1月16日(月)
午前中ゲレンデで滑り、お昼に信州を出発。途中高速の分岐点で友達の車とはぐれ、家に着く予定の時間をオーバーしてしまう。
家に帰ると疲れて荷物をばらす元気もなく、入浴。
祖母はもう就寝していた。
母は大相撲ダイジェストをテレビで見ていた。
私が次の日の仕事の準備をしてから寝るつもりだと話すと 
  「明日しんどいから早く寝えよ。」
と言った。

私が育った神戸市東灘区にある家は、明治30年くらいに建てられた家で、母、私、年子の妹、祖母(母の母)の4人家族だった。
妹も私と同じ日からスキー旅行に出かけており、私より一日遅く…17日の夜に帰ってくる予定だった。



  1995年1月17日(火)
週末ずっと家を空けていたため仕事の準備に手間取り、ようやく寝たのは明け方4時ごろだった。

ぐっすり眠っていたのに、眠りを妨げたのは、今まで聞いたことがない音だった。
たくさんの人の運命を分けた5時46分…

地鳴りのような、グオオオオーーーという…説明できないくらい恐ろしい大きな音、家中がビリビリと震えて、背中に接していた布団を伝って背中までビリビリ響いた。

そしてその後縦に大きく揺れだした。
ちょうど太鼓の上にマメをばら撒いてバチでたたいたらマメが跳ねるように、体は布団から離れて大きくバウンドした。

そのとき思ったのは、「あれ、六甲山って活火山だっけ?じゃあ溶岩流れてくる?」
脳裏には毎日見慣れている美しい六甲山脈の山並みが浮かんだ。

それが終わると今度は横に大きく揺れだした。
後にテレビで見たが、全壊した建物は横に5メートルの幅で揺れたらしい。

あまりの恐怖に声も出せず、ブンブン振られるのに、つかまるところもなかった。

そのうち体の上に物がバラバラと落ちてくるのを感じたので、頭まで布団をかぶって、布団の両端をつかんで必死で体の安定を保とうとした。

最後に、寝ていた2階の床がガガガガーーと下がっていくのを感じた。
その間も体の上には何か分からないが落ちてきたり倒れたりしてきて押しつぶされそうだった。
  「これは絶対死ぬ…私の人生短かったなぁ…」
真剣にそう思った。
想像を絶する恐怖に私の精神状態は耐えられなくなったためか、かなりのものが落ちてきたので頭を打ったのか、(たぶん両方)気が遠くなっていった。

どれくらい気を失っていたのか分からない…たぶん一瞬に違いない。
しばらくすると、あたりはシーンとなっていた。

布団をちょっとめくって見てみると、頭の上にはぽっかりと穴が開いており、星がまたたいていた。
  「部屋に寝ていたはずなのに、なんで星が見えるんやろう?」

遠くのほうでは
  「助けてー助けてー助けてー!」
と、誰かが叫んでいた。

突然表現できないくらい恐怖を感じた。
  「誰か助けてー!お母さーん、助けに来てー。早く来てよー。怖いよー」
ありったけの声を出して叫び続けた。

でも誰も助けには来てくれなかった。
真っ暗だったので上にどんなものがあるのか分からなかった。
布団をめくって周りを探ってみた。
どうやら狭い空間になっているらしく、瓦礫の一番底にいるようだった。

  「自分で出てみよう…」

手探り足探りで、伸び上がって出てみた。
倒れた柱や大きな梁や瓦礫の間をぬって、どんどん上がっていった。
着ていたパジャマはいろんな突起物に引っかかってずり落ち、得体の知れない瓦礫はおなかの周りを傷つけた。
動くたびに瓦礫はガラガラと崩れていった。

そして、一番上に出たとき、自分が屋根の上にいることに気が付いた。
たぶん声にならない、ワーッとか、キャーッと悲鳴を上げたと思う。

暗くてよく見えなかったが、家は上から押しつぶしたような感じで、大きな屋根がその上に乗っている状態だった。
  「何とかしな…何とかしな…どうしよう、どうしよう」
独り言を言いながら、屋根を駆け下りて、下に下りれそうなところを選って道路に下りた。

そして、家の前を何往復もしてみた。
2階建ての家はやはり上から押しつぶしたように跡形なく、前の道路に向かって倒れており、歩道をふさいでいた。
歩道の白いガードレールと昔からある電柱で、どうにか道路までくずれるのを防いでいた。

普段出入りに使っていた勝手口の辺りに来たとき、
  「助けて、助けて…」
と、弱弱しい声が聞こえた。
祖母だった。
  「おばあちゃん、今行くからね。」
瓦礫を乗り越えて、声のするほうに登って行った。
祖母は居間だった部屋のあたりに倒れていて、瓦礫や砂に完全に埋まっており、頭頂部…セロテープの芯くらいの大きさしか見えなかった。
  「助けるからちょっと待ってて」
と言ってとりあえず顔の上に積もった砂を手で払いのけた。
あちこち触ってみたが、祖母の上に乗ってるものはびくともしなかった。
台所のガスコンロの元栓からホースが抜けて、ガスがシューシュー言いながら漏れているのに気づいたので、瓦礫の上を這って行って元栓を締めた。
凄く臭かった。

そのとき、
  「おばあちゃん、大丈夫かー!?」
と言う男性の声が聞こえた。
道路の方向を見ると、瓦礫の間から3人の男性の顔が見えた。
1人は隣の家のお兄さんだった。
  「埋まっててまったく動かないんです、助けてください!」
残りの2人は私は知らないけど近所の人と、通りかかった人だった。

3人は祖母の救出にかかってくれた。
祖母はもう起きていたらしく普通の服を着ており、朝の用意をしていたらしい。
後で聞いた話だが、揺れだしたとたん、走ってストーブとガスコンロの火を消して回って食器棚の前で生き埋めになったそうだ。
祖母の機転が利かなければ、私も祖母も生きたまま焼け死んでいたと思う。

祖母の救出は困難だった。
食器棚が体の上に倒れ掛かっていたのが、食器棚の5つの引き出しが胸に食い込んで、重い食器棚をかろうじて支えていた。
ちょっとでも動かすと、引き出しの角はますます胸に食い込んだ。
その間もきつい揺り返し(余震)が来て、さらに瓦礫はくずれていく。
足場が悪いところで大変だったがかなりの時間をかけて祖母は救出できた。

  「おばちゃん(母)は?」
祖母に気を取られていたので、母のことは頭になかった。

片方の近所の男性という人が「女の子やのにかわいそうやから」と、ジャンパーと運動靴をくれた。
私はそこで初めて、自分がパジャマで素足であることに気づいた。
その後、向かいのおばさんがズボンもくれた。
あまりの寒さにパジャマの上にズボンをはいた。

あたりはようやく明るくなっていた。
まったく何も持っていないので時間すら分からなかった。
祖母は道路を渡った向かいの細い道に、近所の人が引いてくれた毛布の上に横になっていた。
あまりに寒いので、途中でお向かいの家の方が、和室とお布団を提供してくれた。
祖母は気丈にも泣くこともなく、目をつむって静かにじっと横になったまま動かなかった。
どこを打っているか、症状も分からず、このままスーッと亡くなるんじゃないかと思った。
むしろ、私のほうがパニックになっていた。

道路は車が渋滞を作っており、海の方向からたくさんの人がぞろぞろと北に向かって歩いていた。
  「お姉ちゃん、早く逃げんと津波が来るで」
  「母がまだ埋まっているから…」
母の安否が分からないのにどこへも行けなかった。

同じならびにお店が4軒あり、前に公衆電話があった。すでにたくさんの人が並んでいた。
お金を持っていなかったので、非常ボタンを押して二人の叔母に連絡してみた。
近いほうのおばの家にはつながらなかった。
京都の叔母のところはつながった。
  「はい…もしもし…?」
従兄弟の眠そうな声。
  「あのね、家がめちゃめちゃにつぶれてお母さん生き埋めになってるねん。すぐに助けに来て!」
従兄弟が電話の向こうで凍りつくのが分かった。
  「え…お父さんに代わるわ!」
叔父も息を呑むのが分かった。
  「今すぐ家出るから待ってて!」

私は「お母さん、お母さーん」と叫びながら、屋根の上を歩くことしか出来なかった。

家が経営する会社が歩いて5分のところにある。
そこへ行けば誰か出勤しているかもしれない…
走って行ってみた。
誰か出勤しているどころか、社屋も植え込みに向かって斜めに倒れそうだった。
当時敷地内に、小学校の同級生兄弟が住んでいた。
そのおうちはちゃんと建っていたが、なかはめちゃくちゃのようだった。私の話を聞いておじさんとおばさんが、
  「早く行ってあげなさい」
と言ってくれた。二人を連れて帰ったが、案の定全壊した家を見て絶句して立ち尽くす二人。
それでもあちこち見てくれたが、どうすることもできず、彼らの家も大変そうだったので帰ってもらった。

これは、もう人の力ではどうしようもない…それでもあきらめず、あちこちから母を呼び、公衆電話に並んで親戚への連絡を試み、祖母の様子を見に行き、祖母の怪我を診てもらうよう、向かいの医院に頼みに行くことを繰り返した。

祖母は
  「もうお母さん死んでると思うからあきらめなさい。最初助けてて叫んでたけど、だんだん声が聞こえんようになってしまった。もし遺体が出てきても格好悪いから、泣き叫んだらあかんよ」
耳を疑った。
こんな状況なのに、祖母は近所の手前を気にしている…大正生まれなので、そういうこと気にするよう身についているのだろうか。

朝から飲まず食わずだったので、向かいの奥さんから水をもらった。
洗面所を借りて初めて鏡を見た。
顔はススで真っ黒に汚れ、長い髪は埃で真っ白になり、逆立っていた。

お隣のお姉さんが、
「小学校に行ったら、避難してる人がいっぱいいると思うから、男手があるかもしれない」
と教えてくれた。
今まで思いも付かなかった。

早速小学校に走って行った。
卒業してから一回も門をくぐることはなかった学校。
運動場には、避難してきた人がだいぶ集まっていた。
建物の前に先生だか市役所の人だか、男の人たちがマイクとスピーカーを出していた。
  「すみません、ちょっとそれ、貸して下さい」
その人たちは急に言われてびっくりしたようだった。
マイクを借りると、
  「私の母が家の下敷きになっています。生きているか分かりません。母を助けてください。力のある方どなたか一緒に来てください。よろしくお願いします。」
何度もぺこぺこお辞儀をした。
6、7人の男性が、集まってくれた。
  「〇〇さんですよね?」
その中の一人が、なんとちょっと前仕事で関わりのあったKさんだった。
この人たちを連れて家に戻った。けれど人の力では、やっぱりどうしようもなかった。

公衆電話もかなり列を作っていた。
そこで向かいの道をまっすぐ行って曲がったところに、公衆電話があるのを思い出した。
行ってみた…
けれど、公衆電話があったであろう場所は、2区画ほど火の海だった。
人は避難しているのか、誰もいなかった。
離れたところに地元の消防団の服を来たおじさんが、燃え狂う炎をじっとみつめていた。

  「すみません、母が家の下敷きになってるんです。どうか助けてください。レスキューは来ないんですか?」
  「こんだけ燃えてるのにどうしようもないねん、もうあかん、消防車もレスキューも来おへんで」

あの辺に公衆電話あったはず…燃えている家々の前を走って駆け抜けた。
そのとたん、目の前の家がドーンと爆発。
爆風でひっくり返り、上からは燃え盛った破片がバラバラと落ちてきた。
さっきのおじさんがやってきて、
  「あんた、無茶したらあかん、せっかく助かったんやろ!!」

何時か分からないが、連絡取れなかった方の叔母の夫と従兄弟が来てくれた。
  「お母さんが、持って行きって…」
水筒と食べ物だった。おなかはまったくすいてなかった。
お茶でうがいをしてみたが、何度うがいをしても、黒い水が出た。

うちの会社の社員と言うご夫婦がやってきた。
その方たちは初めて見る人だった。
家が経営している会社なのに、どんな人が働いてるかまったく知らなかった。
骨折か打撲か症状の分からない祖母を放っておくわけにも行かず、このご主人が車で山の途中にある総合病院まで連れて行ってくれた。
奥さんは私を抱きかかえ、
  「大丈夫よ…お母さんきっと見つかるからね」
と、ずっと優しく言い続けてくださった。

道を渡った歩道には、「どうやらここにはまだ人が埋まっているらしい」というのが分かったのか、野次馬が集まりだした。
すると、南の方から大きなショベルカーが渋滞をかき分けてゆっくり進んでくるのが見えた。
先頭に立って誘導しているのは、先ほど小学校に助けを求めに行った時名乗り出てくださった、仕事で関わりのあったKさんだった。

  「あちこち探して、やっと来てくれるショベルカー、見つかったんですよ…」
Kさんはご家族を小学校に置いたまま、瓦礫をのけてくれるショベルカーを探し続けてくれていたのだ!

叔父と、Kさんと、最初に学校に行ったとき一緒にうちに来てくれた方たち…気になって戻ってきてくださった市役所の方たちで、ショベルカーに指示をして、家を掘り返す作業が始まった。
向かいの歩道はぎゅうぎゅうになるほど野次馬でいっぱいだった。

私の部屋のあったあたりの物をショベルは容赦なくすくっては捨て、すくっては捨てた。
見慣れた自分の本やぬいぐるみや服や勉強机の破片が目の前を飛んでいった。
私は従兄弟と道に突っ立ったまま胸の前で手を合わせていた。
息が詰まりそうだった。

どれくらい作業を繰り返したのか…急にショベルカーが止まった。

叔父の顔が見えた。

顔が真っ青で引きつっていた。
そして…顔を横に振った…

やっぱりだめだったんだ。
助からなかった。
地震がおさまった直後、「助けてー」と何度も叫んでいたのは母だったんだ。

急に力が抜けて、倒れそうになった。
近所のおばさん二人が両脇をかかえてくれた。

母の遺体はひっくり返った門から外した戸板の上に寝ていた布団ごと乗せられ、布団を上からかぶされて運ばれてきた。

弁護士事務所に勤めており、仕事に行くときは髪をしっかりセットし、お化粧もばっちりで、スーツをピシッと着ておしゃれが完璧だった母…

なのに、知らない人たちにパジャマ姿を見られてかわいそうな母…

向かいの医院の院長がやってきて、布団をめくった。
触るのが怖いのか、懐中電灯をかざしてチラッと見ただけで
  「ご愁傷様です」
とだけ言った。

冷たい戸板に乗せられて、たくさんの野次馬に見られる母がかわいそうだった。
野次馬…なんとか蹴散らさなきゃ…

激しい怒りが湧き起こった。

  「お願いやからこちらを見るのは止めてください!!みんなどこかに行ってください!人が亡くなってるんです!見んといてください!!」

怒鳴り続けた。誰も立ち去らず、引きつった顔でこっちを見ていた。

その中で、ひとり、インスタントカメラで必死にこちらの写真を撮り続ける男性に気がついた。
  
  「そこの写真撮ってる人、止めてください!新聞社に売るつもりでしょ?人の不幸を撮らないで!撮ったフイルム抜いてください!」

私の剣幕にびっくりしたその人は、フイルムを出すことはなかったが、お手上げの格好をした。

叔父が灘高(全国的に有名な難関校、灘中、高等学校)が遺体安置所になっているということをどこかで聞いてきた。
会社のミニバンを持ってきて、大勢の人たちが注目する中、戸板ごと後ろから乗せた。私もその隅っこに乗った。

灘高までの5分間、

  「お母さん、お母さん、どうしよう…これからどうしたらいい…?」

と、ずっと泣き続けた。体はガタガタ震えて止まらなかった…





やっぱり長い文章になってしまいました
ここまで読んでくださった方々、ありがとうございます。
こころから感謝いたします。
続きは明日投稿します。
もし気分を悪くされている方がありましたら、ごめんなさい。

地震のあった1年ほど前の暮れに作った、生き残りのくまちゃんです。高さ30cmくらい。

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毛並みがあるので結構難しかったです。
地震後いいことも悪いこともいろいろ見てきたくまちゃんです。
何日か前の記事で「手芸なんか大嫌いだった」と書きましたが…作ってましたね…

お気に入りのハンドメイドネックレス

2010.01.13.23:55

昨日じぞうくんがテレビを見ていて、

  「お母しゃーん、テレビにマイケル・ジャクソン出てるヨ~」

と言うので慌ててテレビの前に行くと、映っていたのは…京本正樹でした…

  「違うよ…この人は日本人で、京本正樹っていう人。」

と説明すると、

  「だって、顔白いやん。」

う~ん、確かに京本正樹も顔は白い…6歳児には同じ顔に見えるのかぁ…

しかも、マイケルがよくかぶっている黒いハットにそっくりなのをかぶって、黒い服を前をはだけて着ていた。

どうしても譲らないじぞうくんにじゃまくさくなって、

  「うん、そう。マイケル・ジャクソンね。」

と言っておきました



以前作ったビーズアクセサリーです

結構気に入っているのデス

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うーん、カメラの技術が追いつかない…本当はもうちょっときれいな色なんだけど

4本のワイヤーを交差させながら、大小さまざまな色のチェコやスワロを通していきました。

種類が多いので材料をそろえるのに意外と大変で、手芸やさんをはしごしました

実家につけていくと、目ざとく見つけた叔母二人が

  「材料代払うからおばちゃんにも作って~

と言うので、それぞれに作ってあげました。

実家に行くとみんなおそろい…

私はおそろいでブレスレットも作ったよ



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赤銅色とピンクパール色とスモーキーのチェコで作ったペンダント

これも気に入って結構よく着けてます。

真ん中のバラがポイント

うーん、やっぱりカメラの技術が追いつかない…



自分の趣味どんなのかなぁ…と考えると、結局キー、クロス、バラの3つが好きなんだな…(山下清の口調で読んでね)と、今気づいたよ




ミニチュアお店屋さんVol.3

2010.01.11.23:49

今日のお昼にPCを見ていたら、じぞうくんが

  「ねえねえ、お母さん、見て」

と横を向いて見せてくれるので顔を上げると、なんと…右耳の穴の中に噛んだ後のぶどう味のガムがつめてありました…

びっくりしてあわてて取り除き、

  「何でこんなことしたの

と言うと、今はまっているDVD「チャーリーとチョコレート工場」に登場する、ジョニー・デップが経営するチョコレート工場を見学する5人の子供のうち、「バイオレット」という名の気の強い女の子の癖が…いつもガムを噛んで耳の後ろにくっつけているという…それを真似して耳の中に入れたようです

まじめな顔をして一生懸命説明するので笑いそうになりましたが、ここはちゃんと怒らねば…と、きつーくお灸をすえてやりましたよ

もううちの子っていったい…

ぴーちゃんがちょっと(だいぶ?)天然なとこがあるけど、じぞうくんは大丈夫と思っていたのに、最近じぞうくんもこのまま進路変更しそうな勢いです…



はい、気を取り直して、以前紹介したミニチュアお店屋さんの続きでーす

ちょっとお断り…久しぶりに出してきたら、お店の看板の文字が取れていました

昔はやったレタリング…よくカセットテープの背のタイトルで使いませんでした…で描いていたのですが、はがれていたので、PCで処理して描き加えてあります。

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「コーヒーショップ」と「くつやさん」デス。



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パリのコーヒーショップをイメージした感じ??



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「お年賀にドリップコーヒーかティーバッグの詰め合わせはいかがですか?」

コーヒーの入れ物は透明なビニールホースを切って、フタはボタンとビーズを乗せています。

中身は本物のコーヒーの粉と茶葉です。

ハンドメイドクッキーは、英字マカロニに色を塗っています。



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改めてみると雑多な感じ…所狭しと並んでいるね~。



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上二つのバッグはフエルトで、下はボール紙にレースとビーズをくっつけたバッグと、金色の包装用のリボンとビーズで作ったバッグです。

靴は、下二つの自作のフエルトシューズ以外は、実はリカちゃんのハイヒールなんですよ

サンダルはカットし、ハイヒールはビーズやリボンで飾っています



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結構こだわった鏡と靴磨きセット。鏡には靴べら(しょうゆのタレビンに色を塗ったもの)、靴磨きセットにはクリーム、ブラシ、スポンジ、布が入っているよ。

ブラシは歯間ブラシを切ったものです



作るの大変なので、ドールハウスはしばらく作ってないんだけど、久々に見るとやっぱり癒されるぅぅ~



じぞうくんにランドセル背負わせてみたよ

どうかなー

背中よりランドセルのほうが大きいね…

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ショック!!

2010.01.09.23:58

夫は、今仕事の関係で沖縄にいます。

時々電話するのですが、
  
「ブログ見てくれた?」

と聞くと、
  
「俺ミシンはどーでもいーから、子供の写真載せてくれよ~」

と言われました



昨日ショックなことが起こりました。

ちょっとこの写真を見てください。

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ブリキのプランターポットです。可愛いでしょ?

お正月に福袋の紹介をしたフレンチ雑貨のお店で3ヶ月ほど前に気に入って購入しました。

ところが…一番右の1のポットが…盗難にあいました



この写真は室内ですがもともと、上から見るとT字になっている塀の一番内側のブロックの上に乗せていました。

塀から1メートルくらい内側の位置になります…ということは、門を開けて中に入って盗ったということになります。



その数日前にも、門に引っ掛けていた小さい陶器のポットが割られていた事件があったばかりなのです。

大分前にきれいに咲いたお花を大きな植木鉢ごと持って行かれたことがあったので、それ以来植木鉢は見えない内側で、植木鉢同士結束バンドでつないだり、このポットも結束バンドで門に固定していました。

落ちていた結束バンドを見ると、外れたのではなくはさみで切った切り口でした。



とてもショックです

盗られたことよりも門の内側に誰かが入ったことに対して余計ショックです

そして、夫は沖縄にいるので、何かあったら一人で家と子供を守らなければなりません。

  「いたずらされたんだろうか?」
  「可愛いので持って行ったんだろうか?じゃあちゃんと大事にしてくれるだろうか?」
  「酔っ払いが持って行ったんだろうか?」

落ち込んでマイナスに考えている私にぴーちゃんは、

「きっとねー、おんなじの持ってる人が、その人も盗まれてショックなところに、たまたまうちの前通ったらおんなじのがあったから欲しくなったのと違うかなぁ。その人のを盗んだ人も誰かに盗まれて、その誰かも誰かに盗まれて、そうやって同じ町内の中でくるくる回ってるんよ…」

と、言いました。

そのぴーちゃんの発想に笑ってしまい、ちょっと元気が出ました



ぴーちゃんは、細かいことにこだわらず、前向きな女の子です。

あまり感情を表に出さないので何を考えているのか分からないところがありますが、幾度となくぴーちゃんの発言や行動に元気付けられたり、助けられてきました。

上記の発言も6年生なのでありえないと分かってるんでしょうが、それを素の顔で言うので、笑ってしまいます

でもどういう理由であれ、盗難は盗難なので、もう一度似たようなことがあれば、近くの交番に届けるつもりです。



ミニバラの写真です

結構大きく、ワイヤーバスケットに2つ入ってお手ごろな値段でした

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私がハンドメイドを好きなわけ

2010.01.07.23:54

ブログを始めて2ヶ月になりますが、今日初めてアクセスが100を越えました

当の本人が一番びっくりです

特にランキングアップしたいという野望もなく、最初はアクセスが一桁の日もありコメントや拍手もなかなかもらえず、落ち込んだ日もありましたが、クリスマスのヘクセンハウスの記事から急にアクセスが増えました

これまで応援してくださったみなさん、本当に本当にありがとうございます

みなさんの暖かいコメントにはうれしい限りです



今日は私がハンドメイドにはまった過程を、お話したいと思います。

それはやはり、母の影響が大きかったということです。

母は家政科出身だったので、料理も裁縫も完璧。

おやつにはゼリーやクッキーやケーキを作り、私たち姉妹の普段着や結婚式に着ていくドレス、ヘアーバンドなど、ぜーんぶ手作り。

びっくりしたのは中学高校の制服と正カバンを、お古をもらってきて分解して型紙をとり、よく似た布で作ってしまったことです

今思うと贅沢な話ですが、ある時期を越えると母のハンドメイドが嫌になってしまいました

家中いいにおいがするので下に降りると、バターケーキがテーブルの上に…
  
「えーーっ、またバターケーキぃ?あたしはグリコが食べたいよぉぉ

小学校の修学旅行に着ていく服もそのころはやっていたサブリナパンツが欲しかったのに買ってもらえず。

仲良し2人がサブリナパンツをはいているのを横目で見ながら、履いていたキュロットを思い切り下にずらして、
  
「サブリナパンツはいてますよ~~」

みたいなふりをしていた私…



「私は手芸なんて絶対したくない!!」

と叫んでいた女の子は、変わりました。

たまたま近くのスーパーの手芸売り場を見ていたとき、当時はやっていたドールハウスに使うミニチュアを見つけました。

子供のころからミニチュア好きだったので、何の目的もなく即購入。

そのとき一緒に買ったドールハウスの本を見て、作ってみることに。

最初に作ったのは額タイプのもの。

ドールハウスはその後大小50個くらい作りました



そして結婚。

すぐに赤ちゃんが出来たので、仕事を辞める。

でも家にいてもなーんにもすることがない。

で考えたのが夫のセーターを作ること。

残念ながら最後まで出来ず、その後クロスステッチをし続ける。



その後、赤ちゃんのお宮参りのドレスとボンネット、靴を作り、マザーズバッグ、哺乳瓶カバー、母子手帳カバー、赤ちゃんのオムツ、カバーパンツ、おくるみいくつか、肌着などなど、ひたすら作り続けました

生まれたぴーちゃんは、お昼寝を4時間もする子だったので…(寝る子は育つ!6年生なのに身長160.5cmのずずこより大きい)

…その間に、ぴーちゃんの普段着、パーティドレス、スーツ、パジャマなどを作り続けました



その後トールペイントにはまり、ビーズにはまり、小物作りにはまり…

気がつくと家の中は作品だらけに

あんなに嫌がっていた、「母と同じ趣味」になってしまっていました。



自分の趣味が手芸であることに誇りを持つようになったとき、ショックなことが起こりました。

ぴーちゃんが幼稚園の年少のとき、役員仲間を集めてうちで打ち合わせをすることに。

初めて来た人ばかりだったので、あちこち飾ってある作品を褒めてくださる方たち…その中の一人が
  
「私〇〇さんのこと、気持ちの悪い人やと思うわ~」

の一言…耳を疑いました。

それ以来、しばらく自分の趣味を隠す日々が続きました



幸いじぞうくんの同級生のママさんたちは、手芸に堪能な方が多く、話題にしたり作品を見せ合ったりということができるので、うれしいです



あれほどハンドメイドを嫌がっていた子供時代を過ごしましたが、今では私の生活の一部…なくてはならないものになってしまいました。

好きになった根底には、やはり母の「ハンドメイドに基づいた子育て」の影響が大きかったんでしょうね。

自ら作ることでハンドメイドの楽しさを教えてくれていたのです。

今では「ありがとう」と堂々といえるような気がします



ずずこの手芸の相棒、ミシン君です。

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13年使っています。

ほんとにたくさん働いてくれています



ロックミシン氏一世です。

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13年働き続け、去年6月に壊れてしまいました。

長い間ありがとう

最後の雄姿だね



新しいミシン、ロックミシン氏2世です。

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糸通し、糸調節など自動なので便利です



シンガーミシンのアンティーク置物です

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高さ20.5cm横16cm  

ちょっとお値段したけど、コレは絶対欲しかった

結婚する2年前まで住んでいた家は明治時代に立てられた家。

いつの時代からあったのか分からないけど、この家に住んでいた間、シンガーの足踏みミシンを使っていたのです。

だから懐かしくて…




チキンローフのレシピ

2010.01.06.03:00

昨日の明け方はすごい風でしたね

あまりのすごさに、家が飛んでいくんじゃないかと心配になりましたよ、

ってそんなことあるわけないんですけどね



西宮えびす神社にお参りに行きました。

今年は大きなお願い事があるので、絵馬を頂きに行ったのです

「えべっさん」の愛称で知られる西宮神社は、七福神のひとりである商売繁盛の神、えびすさまを奉ってあります。

もちろん普通に初詣も出来ますが、「十日えびす」と呼ばれる1月9、10、11日は商売されている方がお参りする日で、大変賑わいます

一日中、「しょーばい繁盛、さーさ(笹)もってこーい」のフレーズがエンドレスで流れており、福をかき集める熊手や、熊手に付ける笹やお飾りを売っている屋台がずらりと並びます。

その日の夜中に門が開いたと同時にエントリーしている人たちが本殿に向かって走り、一位になった人には「福男」と認定され、賞品がもらえることで有名です。

全国ニュースでやっていたかわかりませんが、数年前にズルをして福男になった人が福男を剥奪されるという珍事が起こったのがこの神社です

なんか笑えない話…

ぴーちゃんもじぞうくんもお宮参りや七五三などは、ずっとここの神社にお参りしてきました

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まだ初詣の人たちでいっぱいでした。おみくじを引こうかと思いましたが、悪い結果が出るとズーーンと落ち込むので引きませんでした…



さて、チキンローフのレシピです

<チキンローフ>

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 鶏もも肉         250g
 鶏ささみ         100g
 豚ミンチ         100g
 鶏の皮          大きいもの4枚
 ロースハムかたまり   100g(お歳暮に頂いたものがあればいいですね)
 たまねぎ         1/4個
 パン粉          1/4カップ(大さじ2の牛乳でしとらせておく)
 マッシュルーム      スライス缶詰で1缶(写真に写すの忘れた…)
 塩コショウ        ボールの表面にサーっと振る程度
 ナツメグ

 鶏の皮はあらかじめお肉売り場の人に説明して、なるべく大きな破れてない物を数日前に予約しておきましょう。急に頼んでも用意できませんし、売り場に並んでる皮は小さすぎて使えません。スーパーによっては断られるかもです。ヨー〇ドーは大丈夫でしたが、コ〇プこう〇はだめでした

 今回は2倍の量で作っています。

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材料を切っていきます。お肉、ハムは1cm角に、たまねぎはみじん切り。調味料を入れてひたすらこねこね


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アルミホイルを幅広に敷いて、ホイルの端にあわせて鶏の皮を敷き詰めます。鶏の皮はぶつぶつのほうを上にしないと、鳥肌だったチキンローフが出来てしまいます出来上がった時に隙間が開いて中身がムニュウと出ないよう、ちょっと重ねて、でも重なったところが分厚くならないよう良く考えて広げてね。幅は30cm弱くらいになるように。
その上に具を乗せます。細長く同じ幅になるように成型します。パチパチたたいて空気を抜きます


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端から巻いていきます。巻き終わりが2cmほど重なるよう、鶏の皮をカットします。手前のアルミホイルをちょっとだけめくって鶏の皮どうしをを重ねて、アルミホイルを最後まで巻いていきます


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こーんな感じで端をひねります。蒸し器で30分間蒸します。竹串を差して澄んだ汁が出てくればOK


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ハーイ、出来上がり~

冷めたらアルミホイルをめくって1cmの厚さにカットします。

完全に冷めないと崩れてしまうので要注意

前の日に作っておくことをおすすめします。

マヨネーズやからし醤油で食べてね




私のおせちのレシピ

2010.01.04.23:14

今日は今年2回目の出勤

世間ではまだお休みの人が多いのか、お店では家族連れで賑わっていました。

長期の休み明けは事務&「お休み明けを待っていました!」のお客さんの問い合わせで忙しいのよね…



ちょっと過去に戻りますが、元旦の記事の私のおせち料理を詳しく紹介します

もうそれは記事にしたでしょっって、過去を生きてるワタシ…



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一の重

 黒豆  ごまめ田作り  紅白なます  栗きんとん  えびの酒煮 
 かずのこ  まさご竹 



 まさご竹レシピ   ずずこの実家で大好評
 
① 辛子明太子一腹をこそげ取り、室温でやわらかくしたバター大さじ3、レモン汁小さじ2を良く混ぜます。
② ちくわ4本を半分にカットし、①をちくわの穴に詰めて冷蔵庫で冷やします。
③ 盛り付けるとき、斜めにカットしてお正月飾りの竹に見立てます。




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二の重

 紅白かん  ロースとビーフ  かまぼこ  カニ入り卵焼き 



 紅白かん  紅白でめでたい感じ
  
寒天を使います。棒寒天、粉寒天、板寒天、どれでも出来ます。分量はそれぞれの袋の裏に書いてある通りにしてね。
牛乳、グレープジュース(またはワイン)で寒天を作ります。それぞれ同じ大きさのタッパーやお弁当箱を使ってね。
冷蔵庫で固まったら、型から取り出して5cmの正方形にカット。
梅の型でくり抜いて、抜いたものを入れ替えます。ただし、食べる前に入れ替えないと、色が滲みます。
今年ずずこは失敗しましたぶどうかんがやわらかすぎて、タッパーから出すとき崩れてしまいました…
本当は市松模様にしたかったのにぃぃ


 カニ入り卵焼き 

① カニ缶 1缶の汁気を切り、三つ葉をざく切りにします。
② ボールに卵 6個を溶きほぐし、みりん砂糖酒大さじ2、塩小さじ1/3、しょうゆ2~3滴、①を加えて混ぜ合わします。
③ 角型、またはパウンドケーキの型に油を塗り、②を流しいれます。
④ 200度のオーブンで30分ほど焼きます。オーブンによって焼き具合が違うので、様子を見ながら作ってね。


 簡単ローストビーフ 

① 牛もも肉600gに多めの塩胡椒をし、たこ糸で縛ります。
② フライパンにバターを溶かし、もも肉を転がしながら、表面全体に焦げ目をつけます。
③ 薄切りにしたたまねぎ1/2個、にんじんセロリ1/3本を②に加え、ふたをして10分間弱火で蒸し焼きにします。牛肉を取り出してアルミ箔でぴっちり包んで保温しておきます。
④ なべに残った野菜に水1カップ、にんにくのすりおろし、ソース、しょうゆ、スープのもと、塩コショウなど、好きな味をつけて煮詰め、ソースを作ります。
⑤ 牛肉は冷めたらたこ糸を外して薄くスライスします。



  
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 三の重 

 毎年の目玉メニュー チキンローフ 

以前からお友達に「作り方教えて~~」と言われていたのですが、教えていなかったのだ

ふっふっふっ、今回初公開
       
長くなるので、チキンローフのレシピは明日…ねっっ


  
  
 

福袋ゲット!

2010.01.03.16:19

昨日は今年初めての出勤

初売り福袋目当てのお客さんが多く、それなりに忙しい。

ちょっとうれしいことがありました

店長(同年代男性)にハンコの捺印を頼まれ、以前紹介したシザーズバッグからシャチハタを出したところ、

  「〇〇さん、そのバッグ手作りですか?すごいですね。他にもいろいろ手作りされるんですか?」

と言われた。

60人くらいいるスタッフの中で、ハンドメイドに興味のある人はほとんどおらず、これまで職場で自分の趣味の話をすることもありませんでした。

店長は見た目もバリバリ硬派なスポーツマンタイプなので、およそハンドメイドに縁のなさそうな彼の口からそういう言葉が出るのが不思議で信じられない。

それに仕事の話以外ほとんど話したことがないので。

だから余計にうれしかったです



一昨日の元旦にゲットした福袋の中身をご紹介しまーす

ネタばれになってしまうので、どこのお店かはナイショにしておきます

でも分かる人には分かっちゃうかな…

ナチュラルテイストのお洋服とフレンチ雑貨のお店で、いつもお洋服を買っているショップです。

実は自分のために福袋を買うのは生まれて初めて

なので、必要のないドキドキ感を味わいながら購入…

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生成り半袖カットソー、デニムのクロプトパンツ、エプロン、ワンピース、ロングレインブーツ、スリッパ2足、ペンケース、布製バッグ、以上で10000円也

ウェアはどれも可愛くて、レインブーツは合皮のようにも見えるので普段でも履けそう、布製バッグは大きいので荷物の多い私にはぴったり



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ガーデンブーツ、スリッパ、ニットの巾着、ニットクロス、ストール、靴下、大判のスカーフ、小物入れ、以上で5000円也
こちらもどれも使えそう

編み物が出来る方は、ニットの巾着とクロスは一日あれば超簡単に出来るんでしょうけど、私は編み物まったくだめなので、うれしいのです

私はここのお店が大好きで、最近他のお店では洋服を買っていません。

洋服も小物も結構なお値段するのを知っているので、どちらもお買い得かと…

ぴーちゃんが小さい時、某有名子供服ブランドの福袋を購入して後悔した経験あり

でも今回は外れがなくて良かったワ




A HAPPY NEW YEAR!!

2010.01.01.23:38

明けましておめでとうございます

今年もどうぞよろしくお願いいたします



私のおせち料理です

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昔からあるオーソドックスなおせち料理ではなく、和洋折衷で自分や家族の好きなものを作っています



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今年一番最初の朝ごはんです。

みんなで「明けましておめでとうございます」と挨拶してから頂きます。

うちは関西なのでお雑煮は白味噌仕立てのお雑煮



その後、おせちを持って神戸の実家に行きました

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親戚4家族が集まり、それぞれで作った料理をテーブルに並べます。

京都の親戚の持ってきたお重の中には、京都の有名な市場「錦」で購入したものも入っています。

左の写真のテーブルの真ん中に写っているのは、以前記事にした「浜福鶴 柚子日和」です      

ここクリック   12月11日の記事

一時期88歳の祖母が一人で住んでいたので、「大変だからみんなで料理を持ち寄ろう」ということになり、いつからか新年会は持ち寄りパーティの形態に…



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今年初めて頂きました「堂島新地 絹生」のおせち料理です。    
        
ここクリック 堂島新地 絹生

超目玉は、伊勢えび、あわび…



年始からドタバタなずずこですが、一年間どうぞよろしくお願いいたします




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プロフィール

ずず

Author:ずず
兵庫県在住
6月19日生まれ
最近何でもが面倒くさいO型

【主な登場人物】
主人公 ずず
脇役1 高3のぴーちゃん
脇役2 小6のじぞうくん
その他、通りすがりの人

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